武富士の話をまとめてみた【同業他社が語る】
馬吉先生は武富士がまだ営業していた時代に、同業他社としてカードローン審査業務に従事しておりました。
他社に在籍していた馬吉先生の耳にも、武富士の噂は入ってきておりました。
当時を思い出しながら、武富士についてまとめていただきました。
- 執筆者の情報
- 名前:小川 馬吉(39歳)
職歴:大手消費者金融に勤務
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- 武富士についてざっくり知りたい人
- どうして武富士が倒産したか知りたい人
- 武富士のその後が気になる人
武富士は90年代の消費者金融最大手
武富士は、強引な経営手法やインパクトのあるテレビCMなどで、良くも悪くも名の知れた消費者金融の最大手でした。
では、具体的にどのような消費者金融だったのか、その実態を見ていきましょう。
社長は神。ワンマン体制
武富士がまだ元気に満ち溢れていた時代、経営者である社長の存在は絶対だったようです。
各店舗に社長の写真がバックヤードに飾ってあり、朝出社して真っ先にすることは、「武井社長おはようございます。」
「今日も1日お願いします。」と、頭を下げて崇拝することでした。
これができないとクビになります。
武富士はワンマン体制だったので、社長の言うことは黒でも白になります。
普通に考えればこんなことは絶対に黒だと思っても、社長が白と言えば白なのです。
私は、消費者金融で働くときにアコム1社に絞りました。
武富士の悪い噂はたくさん聞いていたからです。
その点、アコムに関しては何も悪い噂はなかったので、安心できました。
ちなみに現在もある、某大手消費者金融は取り立てが強引との噂を聞いていました。
そのため自動的にその会社も武富士同様に選択肢から消えました。
社員や店長の年収は高かった
ただ、武富士は大手消費者金融の中でも給料はかなりいい方で、初任給で手取り27万円以上はありました。
そして武富士が宗教のようになっていったのは、この給料日にもあります。
給料日で帰宅する前、「武井社長お給料有難うございます。」
またしても写真の前で崇拝しなければいけません。
私だったらこんなバカなことには付き合い切れないので直ぐに辞めていたでしょうね。
今となっては武富士とアコムで明暗が完全に別れましたね。
マネーダンサーズCMのインパクトは強烈
武富士の当時のコマーシャルに登場したのがマネーダンサーズです。
武富士のコマーシャルはお金を貸す消費者金融のコマーシャルとは思えないもので、このマネーダンサーズが10人位で曲に合わせてダンスを踊っていて、そのインパクトが強烈に残ります。
あの音楽とマネーダンサーズが頭からなかなか離れない人も多かったでしょう。
ある意味洗脳させていますよね。
ここが武富士のしたたかな所でしたね。
とにかくあのコマーシャルはインパクトだけならずば抜けていましたね。
消費者金融のコマーシャルとは一線を画していましたね。
そこが武富士の狙いだったのですから、ズバリはまっていたわけですね。
余り消費者金融らしいコマーシャルを作らないと言うのが、上層部の狙いだったのです。
そこで色々協議を重ねた結果、マネーダンサーズを使った派手なコマーシャルになりました。
派手ではありますが、武富士の名前は少し出るだけです。
これは何のコマーシャル?と思った人も多く、同業他社が度肝を抜かれたのは想像に難くありません。
武富士は狙いがしっかりしているので、この頃まではことごとくいい方向に嵌っていました。
その後、僅かな綻びから武富士は一気に窮地に追い込まれることになるのです。
銀行での武富士の呼び名は『竹田さん』
武富士は毎日銀行営業日にお金を持っていきますが、そのとき、銀行の行員さんは武富士の順番が来たら、武富士さんとは言いません。
竹田さんと言います。これは武富士さんと呼ばれてしまうと防犯上の問題があるからです。
銀行としても当時の武富士は非常に太いお客さんだったので、迷惑はかけられません。
そこで竹田さんと言う名前で呼んでいたそうです。
確かに武富士さんと呼ばれたら、周りの目は一瞬釘付けになってしまいますよね。
当時の武富士からしてみたら有名税みたいなものです。
社員も慣れたものですが、新入社員は最初は驚くみたいですね。
武富士が竹田に名前が変わる訳ですからね。
消費者金融はどこでもそうですが、お札を普通の生活では見ることがない位、用意しなければいけません。
それはATMに入れたり、窓口で直接融資したりするからです。
後は営業時間が終わった時に早く上がれるかどうかはお金がピッタシ合うかどうかです。
これはどこの消費者金融でも同じだと思います。
武富士の歴史と繁栄の理由
では、武富士がリーディングカンパニーとなった理由や繁栄を極めた理由について説明していきましょう。
名前の由来は創業者名と富士山から
武富士の名前の由来は、創業者の武井氏の武と、日本一高い山の富士山の富士を取って武富士になりました。
武富士が創業したのは昭和40年代です。
東京都板橋区で始めた武富士。
最初は苦戦していましたが、商才があった創業者の武井氏はこの不利な状況から改革を進め、一気に業績が良くなります。
当時はお金を貸して取れる金利が非常に高かったので、一度軌道に乗った武富士は他社の追随を許さないリーディングカンパニーに踊り出ました。
お金を借りたことがなくても、武富士の名前は聞いたことがある人は多いです。
武の名前で聞いたことのあるものは武豊と武富士と言われていた位です。
この両者に共通しているのは、武豊は競馬を知らない人でも名前を知っている。
武富士はお金を借りる必要のない人でも名前を知っていると言うことです。
圧倒的な知名度で消費者金融業界TOPへ
会社を興す上で名前は非常に重要です。
中には画数など風水などで決める人も多いのが特徴です。
武富士の名前は全国区です。
北海道から沖縄までその名前は知れ渡っていました。
勿論、その他の大手消費者金融も名前は全国区なのですが、武富士はインパクトが非常に大きく他社のインパクトとは全く違っていました。
インパクトが違うので、お金を借りようと思ったときに真っ先に名前が浮かぶ会社が武富士なのです。
その為、消費者金融が3社入っているビルでお金を初めて借りる人は、迷わず武富士のあるフロアの階のボタンを押します。
それ位、当時の武富士は1強と言われていました。
迷わず、武富士をいの一番に指名する人が多かったと言うことです。
その他の大手消費者金融は地団駄を踏む思いでした。
1日3回の営業電話
武富士の営業攻勢は凄かったですね。
本当に油断をしていると、優良顧客に先に増枠されてしまいます。
ここはスピード勝負ですね。当時の武富士はリーデングカンパニーでしたからね。
後は如何に営業をする時に頭を使うかです。
同じ言葉を何社からも言われている人に同じフレーズの言葉を使っても通用しません。
ここは世間話から崩していくのが定石です。
最初は愚痴を聞くのです。ここで適当な相槌は絶対にダメです。
しっかりと相手の話を聞くことです。
相手にこの人は適当に話を聞いているなと言うのは伝わってしまいます。
そうならないためには必ずこちらが反転攻勢に出るときが来ますから、その時までは耐えながら話を進めていかないといけません。
私は極力1回で決着をつけるタイプでしたが、武富士の営業攻勢は凄まじいものがありました。
1日に2度電話するのは当たり前。
お客さんが話してくれるのです。武富士さんって儲かってるでしょ?
アコムさんは1回しか電話がないからいいけど、武富士さんは1日多い時は3回電話きますよと教えてくれます。
武富士の営業はイケイケでした。
武富士が倒産した理由
消費者金融業界をけん引してきた最大手の武富士は、2010年に経営破綻してしまいました。
「消費者金融と言えば武富士」とまで言われていたのに、なぜ倒産することになってしまったのでしょうか。
その理由を探ってみましょう。
高い金利と異常な取り立て
最近の消費者金融の取立ては一昔に比べてマイルドになりましたよね。
でも、武富士が行っていた取立てはいわゆる「闇金の取立て」のイメージそのものでした。
一方的に怒鳴ったり罵倒したり、昼も夜も関係なく督促電話をかけてきたり、自宅や勤務先に押しかけたり、夜中に電報で送りつけてきたりなど、ありとあらゆる方法で取立てをしていました。
このような悪質な取立てを繰り返しているうちに世間から悪いイメージを持たれるようになり、それが経営体制に対する批判へと結び付けられていきました。
繰り返しているジャーナリスト宅盗聴事件
武富士の会長である武井氏を批判する記事を書いたジャーナリストがいましたが、その記事への報復として、ジャーナリスト宅に盗聴器が仕掛けられるという事件が起きました。
武井氏の命令で社員や興信所が盗聴器を仕掛けましたが、社員の告発により事件が発覚しました。
ジャーナリスト宅へ盗聴器を仕掛けたことや内部告発があったことなどを受け、武富士への批判の声はますます高まり、倒産する要因のひとつとなりました。
グレーゾーン金利の違法判決と過払い金請求
武富士が貸金業をしていた時代は、グレーゾーン金利での貸付けが行われていました。
グレーゾーン金利とは、貸金業者が守るべき「出資法」と「利息制限法」の両者の利息の上限の差により生じるもので、武富士をはじめほとんどの貸金業者が高い利息が適用できる出資法の金利を採用していました。
しかし、2010年6月に改正貸金業法が施工されて、上限金利が20%と大幅に引き下げられました。
そして、最高裁では、「貸金業者が取りすぎていた利息を返さなければならない。」と認め、過払い金請求が盛んに行われるようになりました。
この過払い金請求の金額が大変膨大な額に上ったことが、武富士が衰退していった大きな原因のひとつになっています。
会社更生手続きを経て倒産へ
武富士は、他の消費者金融業者と同様に、過払い金請求の増加などにより資金繰りが悪化し、2010年9月に東京地方裁判所に会社更生法の適用を申請し受理されることになりました。
当時の負債額は4,000億円を超えるほどのものでした。
ちなみに、過払いに該当する顧客は約200万人にもおよび、過払い額は2兆4,000億円にものぼると言われています。
その後武井会長は退任し、更生計画の通りに武富士は韓国のA&Pフィナンシャル社に買収されました。
しかしその後も経営は厳しく、株式会社日本保証が武富士を引き継ぐことになりました。
武富士の5つの闇~現場の実態~
武富士を衰退へと導いた要因のひとつに、想像を超える程の厳しい現場の実態があります。
今なら完全ブラック会社となるその実態を紹介していきます。
①上司からの暴言は当たり前。債務者にも
社員に対する上司からの暴言は当たり前のようだったようです。
当時の武富士は一部上場企業でした。
上場企業の肩書を持ちながら、もう片方では、ブラック企業の一面を持っていたのです。
その社員のストレスのはけ口が、これまたとんでもない方向に向かってしまいます。
武富士の債権回収は強引なのは有名でした。
ドアを蹴っ飛ばしたり、債務者に対して暴言を吐いたりするのは日常茶飯事でした。
何としてでも、貸し倒れをさせないために社員はギリギリのラインを超えてしまったのです。
これは社内の問題も大いに関係していますね。
債権回収で暴言を吐くのは勿論ご法度です。
しかし、ばれなきゃいいだろう的な考え方が当時の武富士には蔓延していました。
ここが非常に武富士の悪い風習です。
回収率が悪い店舗は上から徹底的に叩かれ、支店長は直ぐに降格になる。
こんなことを繰り返していれば良い社員は育ちません。
武富士の暴言をきっちり録音したのがテレビで流れましたね。
あれは武富士に取っては致命的でしたね。
その後の凋落ぶりは、同業者として流石に社員は悲惨だなあと思っていました。
それ以外の問題もありましたしね。
②ノルマは達成して当たり前
武富士は各社員にノルマがありクリアしないと叱責されます。
給料がいきなり下がることはないようですが、余りにもデキの悪い社員は、本社に呼ばれ研修を受けることもあるようです。
ノルマと言うのは、武富士の中では達成して当たり前と言う風潮が流れていました。
結構武富士の情報は他の同業他社に比べて多く入ってきましたね。
ノルマが達成できないので退職に追い込まれるケースもあったようです。
新人さんはノルマは普通に出勤していれば到達できる甘いノルマです。
その後、ステップアップしていく度に段々とノルマが厳しくなっていきます。
ノルマ慣れしている社員も中には当然いて、そのタイプの社員が武富士では出世していきます。学歴は関係のない会社の様に感じましたね。
③離職率№1.求人雑誌で毎回募集している
武富士は消費者金融の中で離職率が非常に高い会社の為、暇潰しに求人雑誌を見てみると、毎回募集しているような状況でした。
人材は確保できるのですが、育て方が粗いので直ぐに辞めてしまいます。
求人の内容の給料が異常に良いのです。しかも基本、土日祝は休みです。
こんな条件で月収28万円からだったら、応募してみたくなりますよね。
武富士は基本的に面接に来た人で消費者金融に借金がない人であれば積極採用していました。
中には忍耐強い人間もいますから、育て方が粗くてもついて来る新入社員もいました。
これはどこの消費者金融でもそうですが、同業他社から借入があると、消費者金融で働けません。
必ず面接に来た人間の個人情報は照会しますから、直ぐに借金があるかないかは分かってしまいます。
求人をかけまくる武富士。
数うちゃ当たる方式です。
しかし、武富士の離職率は業界ではナンバーワンなのは勿論、どの職種の中でも離職率はナンバーワンだったと思います。
株や先物取引の営業マンでもこんなにバタバタやめることはありません。
武富士は異常です。
上司と合う合わないはあるのでしょうが、これだけ多くの離職率は異常としか言いようがありません。
④デキが悪い社員は即リストラ
武富士は頑張って働いていても、デキの悪い社員には容赦がありません。直ぐにリストラをされてしまいます。
武富士で働きたいと思っている人は多いですから、リストラしてもすぐに、新入社員を獲得できるのでどんどんデキない社員はリストラをされてしまいます。
せっかく1部上場企業に入社できたと思っても、少しデキが悪いだけでリストラされてしまいます。
堪ったものではありません。
しかしリストラを宣告されたらそれでおしまいです。
武富士と言う会社はいつ肩たたきをされるか分からない会社なので皆さん戦々恐々としています。
普通の会社では考えられないことです。
これも聞いた話ですが、ある新入社員が駅の地下道から出た時に、そこでたまたま支店長の女性がティシュ配りをしていたそうです。
その新入社員はヘッドホンで音楽を聴いていたそうですが、ちゃんとおはようございますと挨拶はしたそうです。
ティシュ配りから帰ってきたその女の支店長がブチ切れたのです。
なんで、支店長の私がティシュ配りしているのに音楽を聴いたまま通り過ぎたのかと・・・。
出社前でたまたま不運にも出くわしてしまっただけです。
それなのにブチ切れる支店長はどうかしていますね。
その社員は挨拶したじゃないですか?しかもたまたま鉢合わせした上に出社前じゃないですかと猛反論したら、もう帰っていい。
貴方はクビとなったそうです。
とても普通の会社だったら考えられないことです。
こういう強制リストラもしているので武富士は離職率が高かったのです。
⑤パワハラは日常茶飯事
武富士ではパワハラは日常茶飯事です。
支店長になった人間はその椅子をはく奪されないために部下に対して情け容赦がありません。
トコトン営業成績を上げるように、強制残業をさせたりするのが当たり前の光景です。しかもサービス残業です。
今日は仕事は定時に終わらせて、友人とナイター観戦の予定がある日、こんな時に今日は21時までと指令が出ます。
今日は都合が悪いが通用しません。
まあ悪く言ってしまえばブラック企業ですね。強制残業など普通の会社では到底考えられません。
労働基準法に明らかに違反していますからね。100歩譲って21時までの残業は運が悪かったとしましょう。
しかし、サービス残業と言う事に問題があります。
残業代だけで相当な額を武富士は後々支払っています。そんなに世の中は甘くないと言うことです。
実際にパワハラは相当凄いです。恫喝などは日常茶飯事。
中には手を出す極悪支店長も存在していたようです。
こういう悪しき風習が武富士では日常的になっていました。
この様な事は当然本来なら許される行為ではありません。
こういうパワハラに耐えられず退社した社員も数多くいます。
こんなばからしいことにいつまでも付き合ってはいられないですよね。
武富士の裁判の結果
武富士は、その強引な取り立てや対応などが原因となり、数々の事件を起こし裁判にまで発展しました。
そのうちのいくつかを紹介します。
武富士放火強盗殺人事件
2001年5月8日、武富士弘前支店で、タクシー運転手の小林光弘(当時43歳)が、支店内に押し入り「金を出せ」とガソリンをまいて火をつけるという事件が起きました。
この事件によって、武富士の従業員5人が死亡し、4人がやけどを負いました。
犯人は競馬にのめり込み、そのための借金を数社の消費者金融から借り入れていました。
その日も60万円の返済を迫られており、通りがかりで見つけた武富士で犯行を思いついたようです。
殺意はなくても結果的に5人もの人を殺してしまったため、判決で死刑が言い渡されました。
武富士事件
武富士事件とは、会長から長男への外国会社株式の贈与における脱税事件のことをいいます。
会長が武富士の株を所有するオランダ法人株を、香港に住んでいた長男に贈与しました。
当時は、贈与を受け取る人が外国に住んでいる場合は贈与税が課税されないという法律になっていましたが、これに対して国税側は「長男の海外移住は課税を回避する目的のためである」として、長男の生活の場は日本にあるとしました。
その結果、国税側は1,600億円の申告漏れを発表し、追徴課税は1,300億円にもなりました。
武富士会長の盗聴事件
前項で「ジャーナリスト宅盗聴事件」について触れましたが、この事件は武富士を倒産へと追い込むひとつの原因となりました。
この事件は、武富士のイメージが悪化し、株価の下落を心配した武井容疑者の苦肉の策でしたが、これにより結局会長は逮捕されていましました。
また、このジャーナリストに対して名誉棄損の訴訟を起こしましたが、全面敗訴という結果に終わっています。
武富士のその後はどうなった?
会社更生法の適用を受け、事実上倒産した武富士ですが、その後は一体どうなったのでしょうか?
また、当時の社員がどうなったのかも気になりますね。
倒産後も経営を続けていた!?
武富士は倒産しましたが、消費者金融事業を行う他の金融機関に業務を引き継いでもらい、「TKF株式会社」と変更し、主に過払い金返還を業務とする更生会社として経営を続けていました。
そして、2017年3月に会社更生手続きが完了し、TKF株式会社も役割を終え、武富士は完全に幕を閉じました。
なお、過払い金が発生しない顧客や消費者金融事業を引き継いだ日本保証(旧ロプロ)は、現在も事業を行っています。
また、武富士の倒産については、計画的なものであったという人もいます。
倒産することを前提に、新規貸し付けを行わずに回収に専念していたので、潤沢な資産を確保していたと言われています。
会社は倒産しても、武井一族はどこかで贅沢な日々を過ごしているのかもしれません。
武富士社員のその後は?
武富士が倒産すれば、社員も退職せざるを得ませんよね。
元社員達はその後どのような道を歩んでいるのでしょうか?
社員ごとのその後の追跡調査などは行われていないため詳しいことは分かりませんが、在職中身に付いたスキルを活かせる職業に就いている人もいるでしょうし、全く異なった業種の仕事に転職して人もいるでしょう。
「元武富士社員」であることがマイナスにならないのか心配な人もいたようですが、社員自体は悪くないので、さほど問題なく再就職できているようです。
武富士に関するQ&A
ではここからは、武富士に関する疑問についてQ&A形式で答えていきます。
督促状を受け取ったとしても、消滅時効が完成している場合は消滅時効の援用ができますので、手続きをとれば支払い義務は消滅します。
時効の援用をしていない場合、武富士への過払い金請求権は時効を迎えています。
武富士でも、管財人が利息の引き直しを行った後の金額を返済していく必要があります。
武富士一族には財産があるとされながらも、このような低い割合しか返還されないのは納得できませんが、武富士の過払い金は1兆~2兆円にも膨らむことが予想され、債務超過になることが確実視されていたためと仕方がなかったと考えられます。
社員に対しては厳しいノルマと取立てを強制し、平均在職期間が1.1年という記録まで打ち出しました。
さらに、武井一族による一族経営が行われ、株のほとんどが武井一族の所有となっていました。
こういった経営姿勢が倒産してしまった原因と考えられます。
まとめ
かつての消費者金融業者最大手の武富士は、業界の一時代を築き上げましたが、2017年に完全にその姿を消すことになりました。
短期間のうちに急成長し倒産に至る道のりはジェットコースターのようです。
武富士にはよくないイメージを持つ人が多いですが、現在の消費者金融業界を形成する上で大きな影響を与えたことは間違いありません。
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