タコ部屋で地獄見ました【ヤミ金借金物語】

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決定

現在ではタコ部屋というような言葉を使ったり聞くことすらあまりないと思います。

「タコ部屋」の語源をたどると、元々は遡る事明治時代の北海道の開拓時代の労働者を一部屋に詰め込んで生活していたもののようです。

そんな現在ではあまり聞く事や、経験することのない「タコ部屋生活」を20数年前に筆者はお金に困り体験することになったのです。

執筆者の情報
名前:鈴木桂馬(仮名)
年齢:64歳
職業:ライター(自身も闇金利用経験有)
利用した貸金業者数:30社(内闇金5社:約30万)

つかの間の幸せ

昭和50年に私立の一流大学を卒業して国内でもトップクラスの大手一流企業に入社して両親をはじめ親戚一同喜びの日々でした。

私もまだ22才で意気揚々と企業での生活に邁進していました。

2年後の24才で学生の時知り合った女性と結婚して家庭を持つようになり翌年には子供もでき一流企業に勤務、社宅で家族と生活、私の人生の中でその時だけが人並みの幸せの瞬間でした

借金の始まり

借金の始まり

入社3年目で社内で人事異動があり私は入社当時は地味な工場管理の事務職として勤務していましたが、3年目の人事異動でこれが没落の人生の始まりと借金地獄への扉を開くきっかけができてくることになります。

配属先は購買部で多くの取引先へ注文する部門での勤務で注文する側という立場は自分という立場を忘れるくらいに祭り上げられ、更に毎晩のごとく接待され高級クラブをはじめ様々な場所に接待され別の世界で働いているようでお中元、歳暮の時期には部屋一杯になるくらいの品物が送られてきました。

そのような今まで味わったことのない夜の別世界に仕事上だけ行けば自分での出費はかからず借金への道もなかったかもしれませんが。

そこが冒頭でも延べた自制心の弱さで自分個人でも高級クラブ等へ通いはじめそれがだんだんエスカレートしてきてへ店へのつけが自分の給与からもらう小遣い位では払えなくなり、しばらくは女房に出させたりして繋ぎましたが入社3年目の給与がいくら一流企業でもしれています。

店のつけも溜まり当時はまだ携帯もない時代でしたので会社に電話がかかるようになり、それから借金地獄の第一歩が始まります

借金の原因は甘い自分の性格

当時はまだ25才位で仕事の上で経験したとはいえ甘い欲望と快楽の世界にはまって自分の立場や状況などを忘れるくらいに吸い込まれていきました。

その結果残るものと言えば家庭を振り返らず没頭して女性の影も判明したために冷えきった家庭ができ、一年間での変化に気がつかず今振り替えればこの時点でまだ建て直す事はできたかもしれません。

冷えきった家庭に更に追い討ちをかけてきたのが多額の快楽の世界の”つけ”という大きな借金で、小額の時点であやまちにきずき建て直していたら自分の人生は明るくなっていたと思います。

そこには今でも自分の性格がいやになりますがいつも「なんとかなる」という甘い気持ちがさきにたちそれが借金を作っていく大きな原因のもとになっていました。

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自分の中では当時新聞記事などでサラ金被害の記事が毎日のように掲載されていた時代です。

そんな社会環境の中でも自分の借金を返済という事態に武富士のチラシを手にして生まれてはじめてサラ金の扉を開けたことから私の借金地獄、債権者の恐怖、死のヤミ金の追い込みがここからはじまっていきます。

それは忘れもしない昭和54年の夏頃でした。

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借金の負の連鎖

恐る恐るはじめてサラ金の扉を開き不安な気持ちで借り入れを申し込み当時給与が15~6万の時に5万円の借り入れをした記憶があります。

武富士側もはじめての客で今でいう過去の事故や債務整理などの異動情報もなく勤務先は一流企業、案定収入という条件で申し込みをするともちろん審査も軽く通ります。

5万円の借り入れがわずか20分くらいで終了して5万円を手にして後の怖さなど考えず意気揚々と店を出ました。

その短時間でお金が融通できるという甘さを体験すると借金=サラ金で借りれるという負の連鎖にはまりこんでしまいます。

一度この負の連鎖にはまりこんでしまうともう前はなくなり後始末の人生になっていきます。

私の場合も甘い快楽の世界を味わい今でいう不倫もあり20代の新婚家庭の主がやるべきこではないということが何故わからないままに転落の道へ進んでいったかは今振り返っても自分の欲望に対する自制心の弱さ、情けなさしか思いつきません。

快楽の代償は最大で当時の金額で80万くらいになりサラ金も武富士で限度額一杯まで借り入れても毎月の利息の返済だけでもかなりありました。

元金はいっこうに減らず利息返済の為に新たなサラ金に手を出しこのような状態は決して自分一人で隠せるものではなく、当然返済が遅れると会社、家に督促の連絡が入り人生没落の始まりになります。

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取り立ての恐怖

一旦転がり出した負の連鎖は20代の世間知らずのばかな若造に止めれるだけの力もなく、最初の武富士での借り入れからわずか1年位で金利も含み100万くらいになります。

更に快楽を楽しんだ代償もつもり重なり総額で200万近くなり飲食店、クラブから会社へ督促の手紙、電話等が連日続きました。

当時はサラ金がまだ現在のように暴力団防止法や貸し金法等法的整備がまだととなわれていない状態でサラ金の全盛期とも言える社会環境で返済の遅れに対する追い込みは現在のヤミ金以上だったかもしれません。

社宅生活での中で会社はもちろん家への一日中の督促の電話、自宅玄関前に帰宅するまで座り込み、玄関前で大声で「金払え」の暴言等毎日が恐怖の連続でこれはまだ当時のサラ金業者では序の口でした。家庭、仕事も含め本当の恐怖はこれからが本番になります。

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借金している人にとって最も怖いのが、返済に遅れると怖い借金取りのお兄さんが自宅まで来るのだろうかということですね。 借金返すまでは帰らないよと 自宅に居座ることや、勤務先まで取り立てに来るのではない...

そしてタコ部屋へ

今ではあまり言われない事ですが当時の返済できない時の代名詞が「マグロ漁船」か「臓器売買」女性は「風俗店」と決まり文句でした。

筆者の場合は一ヶ月の返済の遅れで「タコ部屋」行きとなり、強制労働で借入金の返済に充てると借りた闇金から身の回りの物整理する時間半日を監視つきでまとめさせられて、車に連れ込まれてこれから始まるタコ部屋生活の場所へ連れていかれる事になりました。

タコ部屋は現在でも存在する?

他の地域でもあるように聞いていますが、実態は明確ではありません。しかし筆者の住むこの地区(大阪の西成)は昔と変わらずタコ部屋に送られ返済させられる人は存在しているようです。

ただ実際は返済の為だけのタコ部屋生活ではなく「寮」という事で人を集め送り込む手配師の存在があります。そんな手配師が活動できる状況があるのは、この町だからできるのです。

この町の特徴でもある路上生活者、その日暮らしの労働者、手配師等は筆者が連れていかれた頃と周辺環境はおよそ20年以上もたった現在でも状況の変化はないように思われます。

ただ筆者の当時の頃ように借金返済ができない時の定番とも言われていた強制労働や監禁状態等は様々な個人を守る法整備や闇金に対しての法律の強化で時代の違いを感じます。

現在この地区でのタコ部屋に送り込まれる対象者は2通りあります。

一つは昔と変わらず闇金からの借り入れに対しての返済できない場合と求人条件のひとつとして「寮完備・食事つき」等を求人として集めます。先月一人の手配師ともいえる人に友人を介して話を聞くことができました。

「人は集まりますか」「全然問題ないよ」「1つの現場に5人程度送るのに倍くらいは来るよ」とこの地区では仕事=お金の必要な人や住所不定で住める所を探している人材を探すのには困らなくらいの環境にあるそうです。

手配師も集める苦労よりこの地区にいる人達は様々な過去がある人が多いので、手配師の一言「どんなおっさんか見極めるのが大変や」と「前に比べると路上生活者や住むところに困っているおっさんが少なくなって来ているよ」とつぶやいていました。

こんな状況の変化も昔と違う点とも言える事で、行政が生活保護を支給する事や色々な行政での救済措置ができ、手配師に世話になる人は筆者の頃に比べて内容も、数もかなりの変化がみられます。

そんな連中を手配師が集める方法としては早朝にワゴン車のフロントに次のような求人広告を出します。

1.日給 9,000円
2.期間 1ヶ月~
3.仕事 砕石場
4.寮・3食食事つき

この広告をみて手荷物はカバン1つくらいで現場へ運ばれ大半は給与の違いで戻ってくるそうです。

1日9,000円という事が実際に支払われるのが、2,000円程度で理由は寮費(実際はタコ部屋)・食費・管理費等の名目で引かれて支給され異議を申し立てると「辞めてもいいぜ、その代わり送る車代はもらうぜ」等で本人には重労働してもお金が残らないようになっている仕組みは昔と変わらないようです。

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タコ部屋の生活スタイル

筆者の頃のタコ部屋生活はそれは悲惨という言葉しか思い出せません。現在はゴルフ場や新興住宅地になっていますが20数年前は山間部で7月だったと思います。

夏の暑さが肌に痛いくらいに感じていた頃に冷房もない簡素な建物の現場の一角に住居と言えるような物ではない所へ連れていかれ20人くらいの同じような環境で連れてこられた色々な「おっさんの集団」が1人一畳くらいのスペースにまるで満員電車の中のような状態で生活を始める

事になりました。仕事は朝8時から夕方日が沈むころまでやらされたような記憶があり、労働時間や法的労働条件などが通用する所ではありません。

常に組長と呼ばれている総責任者の下に班長と言われる我々を管理・監視する役目に担当者が目を光らせている事だけは記憶からリセットできないくらいによく覚えています。

3度の食事の後に30分くらいの休憩があるくらいで中には、暑さと、疲労、脱水症状等で倒れても寝かせられるだけで、何ら治療もなく労働者の中での話では「この現場の山中に何人が埋められている事やろ」等の会話を耳にすることさえありました。

こんな過酷な仕事をしても返済がどのように減っているかなどわからず、周りを見ていると組長と言われる責任者が突然「明日大阪に戻ってもいいぜ」と言われ、ある程度の現金を渡され開放されるか半分くらい命がけで脱走するかしかここから抜ける方法はなかったようで筆者は最終的に連れてこられてから20日くらいで逃げる事になりました。

地元の電車の駅まで行くには徒歩では不可能な山間部で連れてこられた時から逃げ出すことを考えて、まるで「脱走物の」映画のようでと言えるのは今だからです。

当時はただ逃げる事しか浮かばず駅への行く方法を毎日考えていた時にチャンスが訪れました。

仕事がいつものように終わりタコ部屋へ戻ってきたときに班長から「明日の休みは食料の買い出しについてこいと言われた時に「チャンスが来た」と思って夜周りが寝静まるのを見て荷物は持てないので大切な物は特にないので有り金を隠して準備だけをして買い物に行ってどのように逃げるかを一晩中考えているうちに決行の朝がやってきました。

その時の緊張感は今生きている事ができるのもその時の決断があったからかもしれません、あの現場で何人かの人が亡くなっているような事も聞きましたがその中の1人になっていたかもしれません。

買い出しに行ったときに更なるチャンスが訪れ、大阪行きの電車にとび乗る事に成功して20数年前の脱走が成功したことで今があります。

タコ部屋での食事

現在はタコ部屋そのものの存在も昔に比べて少なくはなっているようです。また聞くところによると食事や設備面もかなり違っているようです。現在はタコ部屋より「00寮」と呼ばれている所が多く、その原因は昔は借金返済ができ

ないための労役的な物が多く今でいう「多重債務者」が送られていました。

現在は多重債務者は最終的に法的措置として任意整理や自己破産等をして債権者から免れる事や、貸した闇金などは無登録業者や高金利業者として摘発される事が多くなって来ているために借金の為に連れていかれるより、従業員として雇用する為の福利厚生施設的変わってきているようにも思えます。

筆者が連れていかれた頃は借金が原因の人が殆どで、中には「まだ刑務所のほうがましや」という人もいたくらい過酷な環境した。

仕事は過酷で長時間、食事は朝は白米に味噌汁、漬物が少し、昼食は朝飯に目刺し等おかずと呼べる物かわからない物が1品、夜は週の半分が水っぽいカレーライスでそこにも現場でのしきたりでここに長いものが先に食べれて新参者になるともうなくなる事もあるくらいな為に「刑務所のほうがましや」という事もわかるような気もしていました。

現在は「人権の尊重」「個人情報の保護」等様々な個人を守る法の整備がある為に、昔のタコ部屋やその中での食事も含めて粗悪な環境を経験する事や場所も少なくなっているようです。

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タコ部屋はどういった事を行うのか

当時は元総理大臣の田中角栄氏が発表した「日本列島改造論」の影響で地方の土地の上昇や山間部の宅地開発で建設ブームとなりそこで働く労働者はいくらでも需要はあり、筆者のような借金の為に送られてくる債務者はどんどんと現場に連れていかれた時代でした。

ひどい所では朝日が昇ると頃に働き出して、日が沈む頃迄まで働かされたと聞いたこともあります。そのような社会環境状態で仕事は山を削り宅地やゴルフ場、電車の路線延長等伴う土木作業や砕石場等「日本列島改造論」という号令と共に建設現場で仕事は殆どがタコ部屋生活をさせられるくらいに活気と人集めに必死の状態でした。

タコ部屋はどこの地域なの?

おそらく日本列島改造論の発表後は日本全国でタコ部屋的土木現場はあった事だと思われます。特に地方の宅地開発やゴルフ場の開発状況はかなり活発になっていきました。

それに加え日本列島改造論では日本全国を新幹線で結ぶという、今では当たり前の事を当時掲げた為に新幹線予定地周辺の土地の価格高騰や開発、新幹線のトンネル工事等全国的に大手ゼネコンにとってはまたとない時代を背景に作業員の確保に下請け、孫請けや更にその下の手配師迄が息つく暇もないくらいでした。

筆者が連れていかれたタコ部屋の作業現場でも最高に労働者が集まった時は100名近くいたようで作業員確保の為に、闇金の債務者情報は孫請けの会社にとって重要な情報として闇金は高価な売り物としていたみたいです。

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事務所に監禁される

【第2回】ヤミ金の取り立て手口!嘘みたいな実話です

桂馬さんのスマホには闇金融から毎日SNSで連絡がくる

職場や家庭という狭い環境の中で悪い事実は一瞬にして広まり会社では上司から事情聴取され結果会社の判断で地方の支店への転勤か自己都合退職の選択をさせられました。

まだ子供も小さかったので転勤を選択して新たにやり直すつもりでしたが、現実はそんなに甘くなくサラ金への返済遅れによる金利の積み上げによる増え続ける借入額、更に水商売のつけが今までは店からの督促でしたが店が債権としてその取り立て屋に債権譲渡してその関係からも強烈なおい込みを受けます。

転勤先がなぜわかったのかは彼らにしたら簡単なことで武生富士みたいなサラ金は全国に展開しており発見されるまでそんなに時間はかかりませんでした。

転勤先での債権業者からの想像を絶する追い込み、サラ金からの追い込みも以前にもまして強烈になり恐怖の日々が続いた結果離婚、退職へと転落していきます。

転勤による暮らしはわずか1年で意気揚々と入社した日からわずか7年という短い一流企業での生活でわずかばかりの退職金で少しづつ払いましたが、それからが苦難がますますひどくなります。

退職を知った債権者、サラ金が会社ー給与という返済の一部の保証がなくなり一斉に全額返済の督促が集団で押し寄せてきました。

離婚した妻への強烈なおどし「旦那の借金は奥さんソープで働いてもらえ」「奥さんの実家に行かせてもらう」等家族全員が恐怖の毎日でそれも全てが自分の自制心というものが欠けたことにより家族、家庭、仕事、友人、信用と全てをなくしあと残された道は”死”という選択だけでした。

離婚後妻と子供は実家に戻らず妻の妹に助けを求めて姿を隠しました。

私も転勤前から地元の警察に相談して助けを求めましたが当時の警察は何かはっきりした事件でもないと真剣に対応してくれませんでした。

そんな忘れもしません、7月の暑い午後の日九州の下関の駅で大阪の実家に逃げようと思い身体ひとつで列車を待っていたとき、背中をわしづかみされ「どこに逃げるつもりなんや」と大声で後ろからかこまれました。

その後、駅の外に連れ出され事務所に2~3日監禁され返済の目処がつく返事をだすかマグロ漁船乗るか選択させられ、その時ほど(もうこのまま死のう)と思い債権者に「殺して下さい」と言った記憶があり、その時に相手は「殺すのは簡単なことやが借金とられない」といって返済の目処がつくまで監禁状態は続きました

恐怖の回収力

監禁されてから4~5日して男の一人が来て「大阪に母親がいる」とどこで調べたかわかりませんが、その後男達にか困れて実家の住所や電話番号を暴力的に聞かれました。

口を閉ざしていると頭や腹をなぐられもういっそうのことここで「殺してくれ」と思っておりました。もう40年くらいも前の話でもこの事は昨日のことのように頭から消えません。

しかし実家の連絡先がわかるのにあまり時間はかからなかったような記憶があります。ある日の朝二人の男が「大阪へいくぞ」といって小倉の駅から昔の国鉄の列車にのって大阪へ向かいました。

母親が借金の肩代わり

その後数ヵ月たちある程度落ち着いたときに母親から聞いた話では実家に債権者から電話があり「息子が借金払わないので命もらうぞ」と年老いた母親にいって母はあまりにもの怖さに警察に相談すると自分も殺されると思い「お金を工面するので1週間時間を下さいと頼んだ」そうでした。

1週間後に大阪に行くことになったわけです。母はその間自分の長年かけてきた生命保険を解約したり少しづつ貯めた年金や自分の兄弟に頭を下げてかりて金策したみたいでした。

債権者と一緒に実家に行ったときにはやつれはてた姿に涙を流しながら一言「生きとたんか」といって集めたお金から来た債権者の分だけ払い精算してくれました。

その後もわずかばかりの父親が残した財産を売却して他の借金も精算してもらいました。

今なら破産宣告や債務整理や暴力団防止法等で守られますが、今でも警察は事が起きてからしか動かない体質ですが当時はもっとひどい体質で警察は頼りになりませんでした。

又当時は破産宣告などさせないように追い込みをかけられていたものです。

軽い気持ちで闇金に

母親が死ぬ思いをして作ってくれたお金で借金、債権者の恐怖から逃れましたがそれから2年後に母親は苦労と苦難を抱き他界しました。

その後の人生は相変わらず落ち着かない人生を14~5年過ごして職も転々としてその日暮らしの生活に近い状態が続いていきます。

そんなまともでない生活を続けていくうちに飲み代、パチンコ等にはまり日雇い暮らしの私にはそんなものに費やす余分な金もなく自分の過去の苦しさも忘れ借金という罠にはまってしまい。

はじめは千円単位を回りの仲間から借りていましたが、ある日現場の仲間から「金困ってるなら貸すとこ紹介するよ」と持ちかけられその時は日雇い状態でまともな金融屋では借り入れはできませんでした。

仲間の紹介にのり2万円を紹介されたところから借りたのがヤミ金で第二の地獄に入ることになります。

母親が死ぬおもいをしながら精算した恐怖の代償をいつしか忘れ又昔の甘い性格と自制心のなさで没落の日々へと再び入り込むことになります。

仲間の紹介でもあり自分自身で相手が昔味わった債権者やサラ金みたいではないと思い込み気軽な気持ちで「2万円くらいなら1週間も働けば返せる」と甘い気持ちで借りたのが命取りでした。

金利がトサンで毎週6,000円の金利をとられ最初に手元に来るのは手数料として3,000円(紹介した仲間への紹介料)と金利6,000円ひかれ11,000円でした。

金利を月にすると元金より増え毎週金利を返済するので精一杯のときに知らない着信番号で電話がありでてみると「今融資の受付が必要ではないかと思いお電話差し上げました」との内容で電話の応対も柔らかく良かったので話を聞いて借りることになりました。

いわゆる今で言う090金融でした昔と同じでこのような状態にはまると負の連載で返すために借りるの繰返しでいつしか気がつくととてつもない金利でそれを一時的にしのぐために又同じような金融屋から借りるの繰返しの日々でした。

現在64才で55~56才の頃の2007年~2008年の出来事だったと思います。

再びタコ部屋で強制労働

【第3回】借金地獄脱出から自己破産【タコ部屋で強制労働】

どこから調べたか分かりませんが、私のメルアドに闇金融のライフマネーからメールが来るようになしました。電話やSNSが多く、メールでの連絡は初めてです

もうこの頃になるとヤミ金と呼ばれるところ3社で元金は10万もいかなかったと思いますが金利が膨大にふくれ支払うという事ができる状態ではなくなりました。

追い込みも現場の監督を始め友人などを聞かれ自分に関係する様なところから「絶対とる」とそれは強烈な追い込みでした。

「生かさず、殺さず金は絶対にとる」で最後は1社のヤミ金が他とも話し合いをして泉南の山の工事現場のタコ部屋につれていかれ約半年無給に近い状態で働かされ外とは連絡ができないようにしてあり又そこには同じような状態でつれてこられた半端な人間が大半でした。

約7ヶ月間無給に近い状態(通常一日9,000円から10,000円の日当ですが、実際は一日1,000円渡され残りは全部借金の返済に支払われたみたいでした)で働かされました。

私の現場仲間の一人も同じように紹介を通してヤミ金から借り強烈な追い込みに耐えきれず、京阪電車に飛び込みました。

回りの乗客に危ういところ救出されましたがその後も電車会社への保証問題やヤミ金の更なる追い込みに耐えきれず自殺という結果を選択しました。

私もその心境はよくわかり、仕事現場の近くの山林で何度首をつろうかと思いましたが、情けないことにそれをする勇気さえありませんでした。

たまたま夏の暑い日に1日休みをくれてそれが絶好のチャンスと思いわずかばかりの現金を手にして現場を逃亡しました。

捕まって殺されてもしょうがないと腹をくくり、とりあえず大阪に向かい電車の棚にスポーツ新聞があり、その1ページがこれからの人生を変えていきます。

自己破産への第一歩

電車の中が何かしら別の世界にいるように思えました。

1年近く連絡もとれないような山の現場に監禁状態同然なように過ごさせられ世間とは離脱した中、今はたかが電車中でも生きているという実感を体中に感じた記憶がここと母親の苦しみの中での他界した時だけは過去を振り返る人生の中でも明確な記憶があります。

電車で拾ったスポーツ新聞に目を通していくとある広告をみてふと自分の気持ちが落ちついた瞬間がありました「無理な過払い請求被害に是非御相談ください」という広告でした。

しかしこれはただの金儲けの為の広告だと思いました。

大阪に着いた時にまず心配したのが連中の手配がすでに待ち受けているのではないかと思いながら人目を省きながら改札をでて公衆電話に向かい「もうこれ以上の事態はないだろう」と自分に言いきかせスポーツ新聞にのっていた電話番号の弁護士事務所に電話しました。

電話で一部恐怖の約1年の実体を言うとすかさず「今言います電話番号に5分後に電話して保護してもらってください」と言われ5分後に電話するとそこは警察の生活安全課で「連絡は弁護士さんからもらっているこちら迄こられますか」と聞かれ遠くなかったので指示通り行ってみました。

法テラスでの手続き

出会いとは不思議なものでヤミ金にはまり地獄生活をしたきっかけがあの現場での仲間との出会いが始まりで今こうして毎朝起きて生きている実感を味わえるのもあの時電話した事務所との出会いでした。

ひとまず警察で保護され弁護士さんも駆けつけてくれ今までの経緯を説明すると今の状態なら有料の弁護士は経済的に無理な状態なので大阪弁護士会に法テラスというところがあるのでそこへ行きましょうと言われみました。

知り合いの法テラスの弁護士さんに予約してもらってその間弁護士さんから紹介してもらってボランティアで私みたいな訳ありの人達をたち直させる小さな施設に身をかくしました。

法テラスの予約日迄もそうでしたが毎日が追っ手からの恐怖で落ち着く日がなかったような気持ちだったと思います。

しかし当時そこのオーナーも私と同じような道を歩み結果ボランティアで自分と同じ人間を作らないようにとこの施設をはじめられ私を含め多くの人が助けられたことかと思いますが2年前に病気で他界され施設もなくなりました

法テラスで現場で仲間から照会されたヤミ金から始まった事を2~3回だったと思いますが説明して結果自己破産、免責の手続きを行い法の元で守られることになりました。

まだ追い込みからの解放されたとはその時点でも思っていませんでした。2012年の6月の事でした。

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今も闇金の催促が家にくる

自己破産後は体調も崩し病院へもいけない状態になって、相談した弁護士から生活保護の申請を至急するように助言されました。

法テラスでの分割での支払いも生活保護者なら免除になるとのことでしたので申請を行い最低限の生活は確保され住まいも小さなアパートでしたが私にとってはこれが天国と思われる一時の時間でした。

神様がいるとしたらここまでの人生での自分がおかしてきた事に対して何もなく人生の終末を迎えさせてくれるはずがありません。

体調を崩して半年後に左半身がまるっきり動かなくなり病院での診断結果が国の難病指定にもなっている「進行性パーキンソン病」と判明してほぼ体の半分は麻痺状態になり自分でトイレもいけない状態になり大きな天罰をもらいました。

同時にどこで調べたのかわかりませんがいまだに新しい住まいにヤミ金からの督促がきますが無視しています。

もう64年間自分の欲望の自制心をコントロールできないことで人生の殆どんどを「借金」「追い込み」「恐怖」の時を過ごして今天罰ももらいましたが一番の自分の「運」ということでは今までは生きてこれた事ではないでしょうか。

自分の郵便受けに一通の手紙

【第4回】闇金との切れない関係

全部闇金融からの電話。日に3社以上かかってくることも珍しくない

一般的には自己破産や裁判所の免責が出ると借金は0という考え方は持っています。それは担当した弁護士ももちろん同じ思いをしていました。

もともと法律上ではヤミ金は貸金業法に準じた正規の金融業者ではなく違法な高金利で金融業者としての登録もないために借り入れ金額は基本的には返済しなくてもいいことになっています。

も自己破産手続き、免責と行い更に新しい人生を始めるために住所も変え天罰として受けた病気の治療もあり新天地で新たに生きる道を見つけることにしました。

その新天地で落ちついた生活をして半年が過ぎたある日自分の郵便受けをみると何やらわからない郵便物が入っており中を開けてみると「2012年5月にお貸しした5万円の支払いが届こうっており利息込みで120万請求させていただきます」との内容に一時は自宅玄関で動きがとれないくらいに固まってしまいました。

その理由としては何故新しい住所がわかったか、自己破産、免責で取り立てはできないはずではなかったか、送られてきた封筒をみても切手の消印だけしかわからずどこからきたかも判明できるようなものは残っていませんでした。

そのあと直ちに弁護士事務所に連絡をして助言を仰ぎその手紙を弁護士事務所に送ってからも一日おきくらいに手紙が届きやはり消印だけしか残らない状態でしたがその消印も毎回違っており手口として巧妙になっていました。

ヤミ金にとっては自己破産、免責が「なんですか」な具合で貸したものはどんな状態であろうと生きている限り取り立てる意気込みがひしひしと感じられました。

民事不介入の警察

一昔武富士での借り入れがこの地獄の体験談の始まりで勤務地の警察や転勤先の警察に身の危険を感じて相談したこともありました。

今は警察も振り込み詐欺の多発などで組織的に犯罪対策課やサイバー対策室等を設置して市民の声を聞くようにしていますが、実際若い女の子がストカー被害に会う前に相談してもなんら手が打てず結局殺されてしまったというニュースは最近よく目にします。

私の場合はもっとひどかった事が記憶として明白に思い出すことができます。

武富士の頃は警察は消費者金融の味方だとずっと信じていました。

相談しても「個人の貸し借り」で刑事事件でもないので当事者同士でうまく話つけてとあっさりと返された事が昨日のように思えますが、あれから20年以上の歳月がたっても警察の恐ろしき体質はかわっていませんでした。

私が阪南の現場から逃亡して大阪に着いたとき最初に保護されたのが警察の生活安全課でした。

その時も結局最終的に保護を実施してくれたのが今は他界したボランティアの施設でした今回も再三なる手紙の督促にストレスと身の危険を感じて近くの警察に相談にいきました。

しかし、回答は「借金の督促状で危害や暴力をふるったわけではないので個人間の問題で民事として弁護士がいるなら相談してみては」と昔と変わらない回答に警察ってなんやと怒りを露にして警察を後にしました。

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闇金業者から「金は絶対回収する」のメール

手紙が届き出してから半年が過ぎた昨年の11月頃に私の携帯に着信番号のない電話がはいり誰かわからないので出ませんでした。

するとその日を境にして一日10本近い番号なしの電話がはいり今年の2月頃までその状態が続いて2月末くらいに私の携帯にメールが入り「金は絶対回収する」と一言の内容でそれをもって弁護士と警察に再度出向きこれは脅迫だと申し出してメールの発信元を調査してもらいましたが何十もの経由したメールの発信のしかたで元はわかりませんでした。

もう私も借金地獄にはまり債権者からの恐怖に恐れ更にヤミ金に手をそめて死ぬ間近までの追い込みにあって約40年近くになり今年で64歳になります。

あと残りの人生もわずかだと思いますが泉南の山の中の地獄の現場、下関での債権者による監禁等いつ殺されてもいいような状況でしたが今日まで生きてこられました、

3月に新しい電話に変えてても今なおどこで調べたのかわかりませんが自分の携帯へヤミ金と思われる電話金融のメールが毎日のように流れてきます。

こんな状況ですので現在あの時ヤミ金から借りた10万が利息と共にいくらになりそれが2月にあった「金は絶対回収する」がいつくるか不安な毎日が続きます。

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この記事の執筆者

鈴木桂馬
大学を卒業して一流企業に入社するも、自制心の欠乏により輝かし人生を真逆の地獄へのエレベータに乗ることになる。

別世界の甘い誘惑に負けた結果、莫大な借金を背負い、勤め先や大切な家族・友人・すべてを失う。残ったものは死の淵まで追い込まれた壮絶な恐怖の取り立てのみ。

母の助けもあり、一度は借金完済するも、時が経つことで殺されかけた自分の経験が頭から消え去り、今度はヤミ金に手を染めてしまう。

その結果は誰もが予想がつく通りの結果となり、地獄行きのエレベータに乗ってから40年以上たった現在も、ヤミ金の恐怖から怯えながら生活する毎日・・・・

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  1. 飛雄馬先生さん|2018-11-09 21:01:11

    こんばんは。その通りですね。

  2. 金足りぬ(大嘘)さん|2018-11-09 19:22:30

    タコ部屋について調べていた中二です。闇金は絶対に手を出さないこと、消費者金融は安全に利用したいと思います。